(2018年11月26日公開動画より)
『ほぼ日』の株主総会に行った。
糸井重里さんが社長の会社。
なにより良かったのが、
岩田聡さんの話を直接
糸井さんに質問できたこと。

故人の話だから嫌がるかなと
思ったけど、この質問に
一番多くの時間を割いてくれた。
聞いてたら涙が出てきちゃった。

どんな質問をしたのかというと

ほぼ日の電脳部長だった
岩田聡さんのことについて
お聞きしたいです。

かつてはほぼ日の記事でも
岩田さんのプライベートな一面が
見られることもありましたが、

任天堂の社長になって以降、
なかなかそういう記事も
出てこなくなってしまいました。

岩田さんのそういう素の部分の
人間性にもとても興味があり、
いろんなエピソードが知りたいです。

岩田さんの話を世に残せるのは
糸井さんしかいないと思ってます。

12月7日には岩田さんが立ち上げて
作り上げたスマブラの集大成とも
言えるゲームソフトも出ますし、

その前日の12月6日は岩田さんの
誕生日でもあります。

ぜひこのタイミングで岩田さんとの
エピソードを世に残してください。

みたいな感じ。もっとシンプルに
熱く伝えたような気もするけど
忘れちゃった。

これに対する糸井さんの回答。

岩田さんはとにかくいい人。
こういった質問が出ること自体も
岩田さんが皆に愛されていた証拠。

昔一緒にゲームを作っていた頃と
任天堂の社長になってからも
岩田さんは何1つ変わってない。

『MOTHER2』を作っていた時は
神田の任天堂に缶詰めになって
一緒に徹夜したり終電で帰ったり。

終電で帰る時には私の車で
新宿南口まで岩田さんを送っていき、
そこから特急にゆられて山梨の
ハル研究所まで帰っていた。

今度ほぼ日から岩田さんの本も
出そうと思っている。


これはありがたい。
ぼくは岩田さんの晩年の動きとか
身近な人だけが知る岩田さんの
行動とかにもすごく興味がある。
そういうのを全部出してほしい。

そこには後世に役立つことや
学びになることが
たくさん含まれていると思う。

さらに糸井さんの回答が続く。


岩田さんは旅行用のコロコロと
転がすカバン1つでほぼ日オフィスに
フラリと来ることもあった。

私が京都に行く時も、行くことを
伝えていなくてもなぜか岩田さんには
伝わっていた。任天堂の社長で
忙しいはずなのに「私は〇時なら
スケジュール空いてます」とか
メールをくれて、会ったりしていた。

後に岩田さんの奥様から
「時には糸井さんに嫉妬することも
ありました」と言われたこともある。

岩田さんの秘書の方も
「糸井さんと会う時は最優先の
スケジュールとして入れていた」
と教えてくれた。

岩田さんは弟役がうまいというか
話していて学ぶことがたくさんある。
ずっと話していたくなる。
岩田さんも少なからず
私と会うことを楽しんでくれていた
というのもうれしい。

そんな岩田さんのお葬式の日、
私は弔辞を読むことになった。

控え室でたまたま宮本茂さんと
2人きりになった時に会話をした。

岩田さんは自身の病気のことを
熱心に調べていて、どういう
病気か把握していたと思う。

だから宮本さんに
「どれくらいの確率で生きる
つもりでいたんでしょうか?」
と何気なく聞いたら、宮本さんは

「全く100%生きるつもりで
いたんじゃないですかね」と答えた。

私は岩田さんは自身の病状や
余命を知っていたんじゃないかと
思っていたけど、

私よりもっと身近に毎日のように
接している宮本さんがそう感じるなら
そうなのかなと思った。

岩田さんが生きていたことと
亡くなってしまったことは
私の人生に本当に大きな影響を
与えている。ずっと考えてしまう。


ぼくはこのあたりの話に
グッときてしまった。

そしてぼくも糸井さんと同じ意見。
岩田さんは自分の死期が
ある程度わかっていたと思う。

なのに、一番近くにいる人たちに
それを悟られずに過ごしていた。

岩田さんが亡くなる数年前から
やってきた行動だけを見れば
明らかに死期を悟っていたとしか
思えない。

スマホゲーム進出でDeNAと協業や
『QOL』という娯楽以外の分野の
プロジェクトを立ち上げたり。

岩田さんにしかできない改革を
駆け足で進めていたのは明らか。

そんなに動いているのに
一番身近なところにいた
宮本さんにも死期のことを
気づかれないように。

よく考えればそりゃそうだ。
任天堂という何千人もの人間が
属している企業のトップが
死ぬかもしれないという事実が
少しでも周りに漏れてしまったら
大変なことになる。

そこを岩田さんは隠し通すしか
なかったんじゃないかな。

他にもハル研究所の現社長で
かつて岩田さんと共に仕事を
していた三津原さんにも
話を聞いたことがある。

三津原さんも宮本さんと同じく
岩田さんは自身が亡くなるとは
100%考えていなかったんじゃないか
と言っていた。

身近な人ほどそう思ってる。

岩田さんは亡くなる2日前に
スーツを新調したという情報もある。
これも死ぬつもりが全くなかった
という説の裏付けになる。

でもよく考えてみて。
実際に岩田さんがしてきた行動と、
調べればすぐ出てくる病気のこと。
どう考えても岩田さんは
わかっていたはずだ。

ぼくも同じ立場だったら
岩田さんのように動きたい。
やっぱり会社のことや周りの人の
ことを考えると、自分の死期が
わかったとしても、それを周りに
悟られたらダメだ。

でも後始末というか、
自分がいなくなった後のことも
考えて行動しないといけない。
それをしっかりやってのけた
岩田さんはすごすぎる。

糸井さんの話を聞きながら
そんなことを考えてたら
涙が止まらなくなっちゃった。

で、糸井さんもしんみりした
空気を明るくしようと、岩田さんの
面白いエピソードも話してくれた。


岩田さんはどんなにキチっとした
スーツを着ていても、靴下は必ず
アシックスのスポーツソックス。

けっこう偉くなってからでも靴下に
穴があいたまま履いてるのを見た。
そういったところも好きだった。


この後に、他の取締役の
永田さんと小泉さんからも
岩田さんとのエピソードを聞けた。
とにかくみんなに愛されていた
ということが伝わってきた。

こういったエピソードをまとめて
世に出せるのは世界で唯一、
糸井さんしかいない気がする。

任天堂の社長になる前からの
友人であり、先輩であり、
共にゲームを作った仲間でもある。
この関係性だからこそ出せる。

任天堂主導で亡くなった前社長の
エピソードをまとめた本を
出すなんてありえないだろうし。

ぼくはとにかく晩年の岩田さんが
発信したものを全て知りたい。

社内だけで伝わってたことや
家族だけでの話、友人との話など。

岩田聡という人間は、
最後の3年くらいをどのように
立ち回って生きたのか?

そこには得るものが
多く詰まってると思う。

というわけで糸井さん
ぜひお願いします。